サラッと讀んで

若者の国語力についてさまざまに言われますが、彼らは少なくともそれ以前の世代に比べて、コミュニケーション能力がかなり高くなっていると思えます。話すことが、格段に上手になっています。それは、言葉への柔軟な態度によるものです。決められた言葉遣いを必ずしも必要としないのだという、悪く言えば“いい加減”さは、コミュニケーション能力を伸ばし、物怖じせず、元気に日本語を使いこなしているように思えます。(本文引用)
若者こそコミュニケーションの達人?『適当な日本語』|日刊サイゾー
 団塊の世代は、若かりしころ、日本語にさまざまな新しい語彙を取り入れました。(中略)
 全共闘世代が使って広めた言葉としては、他にも、「ゲバ棒」「バリスト(バリケードストライキ)」「大学紛争」「団交」などなど。
 彼らは自分と違う意見に対しては、全て「ナンセーンス!」の一言で片付けました。いまどきの若者は語彙が少ない、などと団塊の世代に言われたくありません。(本文引用)
若者こそコミュニケーションの達人?『適当な日本語』|日刊サイゾー
 マスコミにだけ流れて、実際には誰も使わなかった言葉に、例えば「チョベリバ」(超Very Badの略)というのがあります。若者言葉には、ある種隠語的なことがあって、他の人にまで広く知られてしまうと、かえって使わなくなるという傾向があります。
 いずれにせよ、空気を読むというのは、日本文化の非常に中心的な伝統的態度であって、それは今の若者に始まったことではありません。しかし今の若者は、大変日本人的な日本人であるということなのだと思います。(本文引用)
若者こそコミュニケーションの達人?『適当な日本語』|日刊サイゾー

若者内だけででしか通じない隱語的な若者言葉を公の場であつても使ふ、それはコミュニケーション能力が高くなつてゐると言へるでせうか?空氣を讀んでゐると言へるでせうか?
樣々な新しい語彙を取入れた團塊の世代は古くから在る言葉を知らなかつたのでせうか(これは素直にに疑問)?