違、違、違その2

平成二十一年五月十五日
違、違、違 - 實驗日記(假)
よく「自民黨と民主黨の違が解らない。」等と云ふ意見も目にするが、さう言ふ人達は、「政權が替つたら世の中180度變るべきだ。」とでも思つてゐるのだらうか?物事を單純化しようとしすぎ。
政權が代つたら政策が變らなければ、二大政黨制の意味がない。政策が變らないでいいのなら、自民黨が一黨あればそれで十分だ。「政策が變らなくても、政權が交替する事に意義があるんだ」と思つてゐるのかも知れないが、そんな事には何の意味もない。
闇黒日記

ちやんと見れば自民黨と民主黨では施策に違はあるんだ。それは小手先のことかもしれないし、極々小さな違かもしれない。政黨のアピール不足もあるだらう。だが「違が解らない」人達はそれを見ようとしてゐるのか?*1資本主義が社會主義に變るくらゐの違ぢやないと解らないのではないか?


と書いたものの、以前書いたことの言訣にもならない。私は、政黨とは同じ理念を持つた者の集りであることを忘れてゐた。施策は理念を實現するために行ふものなのだが、私は肝腎の兩黨の理念の違を説明できない。理念のない施策に意味があるのか?
違が解つてゐるつもりになつてゐただけ――と云ふことを痛感させられた。

*1:見た上で解らないと言つてゐるのならそれでいゝ。