Re:Suckyさんだけに對する文章へのご意見・ご感想、Re:Suckyさんだけに對する文章(4)へのご意見・ご感想、Re:Suckyさんだけに對する文章(4:追記)へのご意見・ご感想

(4:休題)は碌に讀んでゐない。速過ぎて追ひつかない。

Re:Suckyさんだけに對する文章へのご意見・ご感想

構ひませんを連發したり、譲歩をしてゐますと言つてみたり――「俺つてこんなに優しいんだ」とでも言ひたいのでせうか?


ルールを作る意味が解らない。七鍵さんはいきなり何を言出してゐるのだらう。
質問、疑問については一連の記事を讀んで答へたければどうぞ。説明をするのも阿呆らしいから説明しないと言切つた七鍵さん、説明すること自體は容易いことだらう。私が一問一答の形に書直すまでもない――まあお願されてもやる氣はないが。

七鍵が誤りを認めないと極め附けたのであれば、どうぞ附きあひます、なんでもその根據を仰つてください

滿員電車に乘れば他人と體が當るのは至極當然のことだが、平氣で尻をすりよせてくるとか自ら率先して、自らの尻を私にすりよせてくる等と云つたことを、相手が本當にさうしたのか不明であるにも拘らず、七鍵さんは一方的な被害妄想のみで言つてゐる――これが七鍵さんの非。そして聲もかけずに、尻を摺り寄せて電車に乘らうとする習慣は何とかしなければならない。と云ふ主張はその非から導出されてゐるのだからやはり非。それを認めない以上、七鍵さんは己の非を認めることは絶對にしないだらうと考へる。
因にこの文、「Re:Suckyさんへの返事へのご意見・ご感想」で書いたことの燒直し。

もともとSuckyさんからつけてきた因縁です、私は今件まで「Suckyさん」との名前すら知りませんでした。知りもしない相手から、特定の本人に言つたわけでもない主張に對し、こゝまで因縁をつけられてだまつてゐられるはずもありません。

慥かに私個人に言はれたわけではない――が、七鍵さんは主張を一般に公開してゐる。ならば、その公開された主張に對し、感想なり意見なりを述べることは誰でも何時でもできる。七鍵さんが私を知つてゐるかどうかなんて關係のないことだ。

Suckyさんの氣がすめば、「終り」との意思表示をして下さるだけで結構です。私は、終り方に對する批評をしたいがために、こゝまでSuckyさんに譲歩をしてゐます。

「終り」は七鍵さんが勝手に決めればいゝ。かなり腹を立ててゐますと云ふ感情を何度も申し上げますと前面に出されては議論にならないので、私の中ではもう終つてゐる。尤も今後も公開された文書に對し、何か書かうと思へば書くだらう。だが私は、七鍵さんの記事を少くとも週に一囘は見るようにしますと追續ける氣もないし、七鍵さんと何年でもつきあふ趣味もない。
七鍵さんが私に讓歩する必要はない。遠慮は要らない。七鍵さんの好きにすればいゝ。七鍵さんは何の爲に讓歩するのだ?終り方に對する批評をしたいのなら勝手にすればいゝ。それをやりたいために、Suckyさんに譲歩つて――かう云ふのはSuckyをだしに使つてゐるとは言はないんだ。

Re:Suckyさんだけに對する文章(4)へのご意見・ご感想

引用も出典もリンクアンカーもない不親切な文書。


青い服を着て街を歩いてゐる人は何故青い服を着てゐるのか――「ある理由」からなのだが、その「ある理由」がトンデモであるにも拘らず、平氣な顏で青い服を着て街を歩いてゐるから指を指して笑はれるのだ。
聲もかけずに、尻を摺り寄せて電車に乘らうとする習慣は何とかしなければならない。青い服に相當するのならば、青い服を着て街を歩く理由も何かに譬へなければなるまい。それが缺けてゐるから、この例へ話は成立つてゐない。

Re:Suckyさんだけに對する文章(4:追記)へのご意見・ご感想

なんでこのやうな例をいまさら擧げるかといふと、どうもSuckyさんは自分の正當性を説明することにばかり夢中になり、自分が何を言つてゐるのか解つてゐないのではないか、さう感じ始めたから。私が何に腹を立ててゐるのかを事前に説明しないと、いつまでも話がかみあはないのではないか、さう感じ始めたから。

平均以下の讀解力しか持たない私に譬喩で説明するとは……開いた口が塞がらない。
私はSuckyさんに對してかなり腹をたてゝゐます。もともとSuckyさんからつけてきた因縁ですが七鍵さんの今一番言ひたいことだと私は解釋してゐる。「因縁をつけられたから怒つてゐる」と言つてゐるわけだ。そんなに私が不當な行爲を働いてゐると言ふのならば、堂々と突撥ねればいゝ。腹を立ててゐるを言つてゐるだけでは、泣喚くだけの子供と一緒だ。

お喋りついでに加へると。人の行つた行爲に對する正當性なんて、いくらでも證明できる。いくらでも證明できるのだが、反面、立場を變へて説明をすると、その行爲に對する誤りもいくらでも證明できるものだ。それについていくら言ひあつてみても、それは水掛け論でしかない。お互ひに自身の正當性をいひあふ場面は特に水掛け論にしかならない。あゝ、あなたはさう感じるのですねと、お互ひに納得しあへればまだましで、たいていはわだかまりが殘るだけだ。

それは七鍵さんが己の價値觀でしか物事を觀ないから。そして他の人もさうあると思つてゐるから。それぞれの價値觀で言合つてゐるのなら、永遠に交わることはない。互に我儘を言つてゐるだけだからだ。仰るとほり水掛論だ。
公開して物事を語る場合、己の價値觀だけでは駄目だ。何故ならば己の價値觀が他者に受入れられるとは限らない。受入れてもらふためには論理が必要。論理があれば水掛論にはならない。論理がないのに己の價値觀だけを頼つて主張を公開した――そんな主張が誰かから否定されても何等不思議なことではない。それに論理的な反論ができずにゐながら納得がゆかず、わだかまりが殘るなんて感情的なことを言ふのならば、それは逆怨であり、反論できない自分を恨むべきだ。


七鍵さん對Suckyと云ふ構圖になつてゐるため、私はつひ七鍵さんを説得しようとしたが、それは間違だつた。七鍵さんは私の意見に納得しなくてもいゝ。因縁をつけられた、腹を立ててゐるつて何度でも言つてゐればいゝ。そんなことを言ふ度に七鍵さんがみつともないと思はれるだけで、私には關係のないことだ。
と言ふか、平氣で尻をすりよせてくるとか自ら率先して、自らの尻を私にすりよせてくるつて、因縁ぢやん。