會話でなくても問題ない

そのやうな輩に限つて、説明をしないことは無責任なことだ、などといひ出す始末なのだが、もう良い加減面倒になつてきたのであらかじめ言つておくと、私は相手をするにも値しないと私が判斷した相手に對して私の有意義な時間を使はうとは思はない。會話をするにも値しない輩とは、會話をしないに限る、特に議論などしようとも思はない。そのやうな輩から會話を求められても、適當にあしらふにこしたことはない、これはお互ひのためになる眞實だ。

私の場合――
(不當なことを公開して欲しくはないが、現實として)七鍵さんが何を言はうとどう判斷しようと構はない。七鍵さんの好きにしてゐればいゝ。私は(と言ふより誰でも)公開されたことが「をかしい」と思へば「をかしい」と言ふことができる。今までが七鍵さんとの會話のやうな書方になつてゐるが、七鍵さんに相手をしてもらふ必要はない。
2つの對立した意見があり、それらが公開されてゐるのならば、澤山の人達がその意見を覽る可能性がある。覽た人達はどちらが正當であるか自然に判斷する。七鍵さんたつた一人の判斷ではない。

こゝの讀者に、一つ良いことを教へると。クレーマーかどうかの見分け方。自身のことではないにも關らず何かについて怒つてゐる者、これは殆どの場合――ほゞ間違ひなく――クレーマーである。

クレーマーとは、理ではなく利を求める者。利とは、自身の利益であつて、他人の利益ではない。利があるにも關らず、自身の利を巧妙にひたすら隱さうとするため、クレーマーには注意が必要。

「Suckyは罵つた人々の爲のやうに振舞ひ、怒つて見せてゐるが、その實、自分が議論に勝つたことを誇示したいだけだ」と思つてゐる人もゐるだらう。
「七鍵さんに勝つた」なんて何の自慢にもならないが、間違つたものに負けたくはないし、負ける謂もない。勝つことが私の利と言へばさうだ。では私の理についてはどうか。「一方的な被害妄想で人を罵るのは間違つてゐる」と云ふ意見に理がないと言へる人はゐるだらうか。


七鍵さんの言ふクレーマーに該當する實例を私は知つてゐる――
平氣で尻をすりよせてくる自ら率先して、自らの尻を私にすりよせてくる等と云ふ一方的な被害妄想で理のないことを根據に、聲もかけずに、尻を摺り寄せて電車に乘らうとする習慣は何とかしなければならない。と云ふ自身の利益を求める人。