猿と看做される

全てが飛んだ。
七鍵さん、私を猿だと言つたのは正解だ。理窟附けてものを書く氣が失せてしまつた。書いてゐるのが馬鹿馬鹿しくなつてしまつた。
七鍵さんは御自分の氣に入らない者は人ではないと言ふ。そして猿だと言はれた私が反應する姿を想像して嗤つてゐる。人間とは斯くも穢くなれるものなのか?
七鍵さんはかう思つてゐるのだらう――私に嫌がらせをしたのだから、Suckyが猿だと罵られても當然だ。Suckyの嫌がることをしてやつたんだ。
この人は、法律に違反してゐなくとも「人として絶對にやつてはならないこと、絶對に言つてはならないことがある」とは思つてゐない。誰かに窘められたとして、自分の非を認めながら――世間體のためだけの認めたふりかも知れない――「私を怒らせたSuckyも惡い」と云つたやうな言葉を必ず吐くだらう。斯樣なことを書くと云ふことはさう云ふレヴェルではないのだが、私に責任を負はせようとするだらう。
そして私は――
あり得ないことだが、私を猿と看做したことについて七鍵さんが全面的に惡いと謝罪してきても、もう七鍵さんを受入れることはできない。氣に入らない者は人ではない――七鍵さんがこんな思想の持主であることを知つてしまつたから。さう云ふ本性を何時でも隱してゐるのだ。七鍵さんがどんな美辭麗句を竝べようとも、もう信用できない。口に出さずとも氣に入らねば人ではないと思つてゐるのだ。
七鍵さんは「議論はわだかまりを産む」と言つた。それに對し私は「わだかまりなどと言ふ奴は逆怨をする奴だ」と言つた。私は今囘の言合ひで「わだかまり」を持つこととなつた。これは逆怨か?當事者たる私が言つても説得力はないが、私はさうは思はない。七鍵さんは私が「わだかまり」を持つような言葉を吐いたのだ。この「わだかまり」は決して議論によつて産まれたものではない。
七鍵さん、安心していゝ。もう話は續かない。勝利宣言するなり、Suckyは詫びもせずに逃げたと罵るなり好きにすればいゝ。