被害妄想も甚しい

私は「やはり羨しい」にて「羨しい考方」で書いたことが誤讀であることを認めてみせてゐるが、實は誤讀とは思つてゐない。何故認めたかと云ふとあの時點で誤讀でないと言つてゐたら論點が誤讀に移つてしまひ、間違つたことを書いてゐるのだと云ふことが指摘しにくくなるから。だがもうそんな必要もないだらう。七鍵さんは何が論點か解らない人なのだから。

今さら説明をするまでもないが、「寧ろ」との言葉には次のやうな意味がある。二つの物事をくらべ合わせ、あれよりもこの方を選ぶという意を表す。「あれ」とはそれ以前の文章であり、「これ」とは「〜何とかしなければならない」との文章で、まともな日本語能力を持つ人間は、この程度説明するまでもなく理解できる。にも關らず、この讀解力がない人間は、「根據」などと言つてみせてゐる、どこまで自身の都合で他人の文章を讀まうとするのか。まあSuckyさんに讀解力がないのではなく、「むしろ」との言葉が附いてゐることを邪魔と考へ、わざと「むしろ」を除いたかたちで引用をしてゐるのかも知れない、さうだとするとこれ以上ないくらゐ淺ましい。

1.どちらか一方にどうしても決めなければならない場合に、惱んだ末の選擇としてその方を選ぶと云ふ判斷を表す。
2.どちらかと言へば以下に述べる方がより適切だとする判斷を表す。
  • 新明解國語辭典第六版より。強調は皐。

男にしても女にしても、見知らぬ男に尻を摺り寄せてまで電車に乘りたいのだらうか。むしろ。聲もかけずに、尻を摺り寄せて電車に乘らうとする習慣は何とかしなければならない。

東京へのご意見・ご感想

七鍵さんは相變らずあへて説明をすると、「尻を摺り寄せて電車に乘らうとする習慣は何とかしなければならない」が、私の主張である。と言つてゐるが、むしろ。の前も七鍵さんの主張の1つなのである。七鍵さんは自分の間違つた考を2つ竝べて、「私がより強く言ひたいのは。こつちの間違つた方なんだ。」と言つてゐるのである。なんと滑稽なことであらう。
そしてあへて説明をすると、「尻を摺り寄せて電車に乘らうとする習慣は何とかしなければならない」が、私の主張である。――その根據は何ですかと尋ねても答へられない自分を棚に上げ、にも關らず、この讀解力がない人間は、「根據」などと言つてみせてゐる、どこまで自身の都合で他人の文章を讀まうとするのか。と言ふのである。根據はなぜ。望みもしない尻を觸らなければならないのか、私の身にもなつてくれ。と云ふ被害妄想であることを忘れてしまつてゐるやうだ。
尚私は聲もかけずに、を敢て無視してゐる。上述のとほり七鍵さんが本當に嫌なのは、望みもしない尻を觸らなければならないことなのだから。

誤解を招く表現であることを詫びたのは既述だが、いつまでもこのやうなことをひつぱり出してまで他者を貶めようとする態度は、どこまでも不遜である。表現に拙い點があつたことは認めてゐる、貶められなければならないのは私の表現――文章なのだが、Suckyさんはそれを「根據」に七鍵の人格を貶めやうとする。

何時の間にか誤解を招く表現であることを詫びたことになつてゐる。

私は早々に、「まあしかし、話をおもしろおかしくしようと仔細を後囘しに書いたのが拙かつたのかと、多少反省の餘地がないでもない。」と自身にも非があつたことを認めてゐるのである――「羨ましい」だとか「樂だらうなと思ふ」とAでもBでもCでも取れるやうな文章を書くSuckyさんに對し多少言葉に含みを持たせてはゐるが。

態度(2)へのご意見・ご感想

まあしかし、話をおもしろおかしくしようと仔細を後囘しに書いたのが拙かつたのかと、多少反省の餘地がないでもない。

東京(2)へのご意見・ご感想

七鍵さんは、「書いた順番が拙かつた」と言つてゐるだけ。内容が拙いと指摘し續けてゐるのに未だにそれが解つてゐない。いつまでもこのやうなことをひつぱり出すのは、いつまでも七鍵さんが間違を正さうとしないから。或は正當性を示さないから。それを以て私が七鍵さんを貶めてゐると思つてゐるやうだが、七鍵さんが自分で自分を貶めてゐるだけだ。

にも關らず、自身を不遜だと極め附けられたSuckyさんは、何とかして七鍵を不遜な輩だと理窟をこねくり囘さうとする。どう思ふだらう、この態度。

理窟をこねくり廻す必要はない。そのまゝで自然にさう云ふ結論に達するのだもの。



私以外に「ブログ」で2人、七鍵さんの言つてゐることがをかしいと表明してゐる。それは正直心強い。七鍵さんの書いてゐることを私が誤讀してゐない證明になる。