理窟が必要ない人は羨しい

そもそも、言ひ返さなければならない場面で、自身の文章にいつまでも時間をかけざるをえない時點で、Suckyさんの何としてでも自身の正當性を喧傳したい態度が伺ひ知れる。自身の主張であれば、今さら再考する必要はない、湯水の如くその主張は溢れかへるものである。いつまでも自身の主張を「推敲」せざるを得ないSuckyさんに對し、我々は冷やかなる眼を持ちつゝも待たなければならない。次はどれほどトンデモな理窟が飛び出すのだらう、自身を何としてでも正當化しなければ氣がすまないその態度は淺ましい。

私は遲筆であることを恥かしく思つてゐるが――
論理も倫理もない文章や思附くまゝ我儘を綴つた頭を使つてゐないことが丸出しの支離滅裂な文章を公の場に湯水の如く垂流すのはもつと恥かしい。