自己矛楯

この記事も私が「説明のための理由」を公開してから早々に書かれてをられたのだが、私はそのことに氣附いてゐながら反應が今頃になつてゐる。


私の仕事については三宅さんのお見込のとほり。特にはつきり書く必要もないと思つたので書かなかつた*1のだが、やはり我々の仕事は獨特なものなのかもしれない。


或る費用──挙げた記事では出張費用を、会計実務的には どの科目で落とすべきか。 これは通称 事務方 が度々直面します。 でもね、そこを厳密に考える必要は無いでしょう。 当該出張が正当な業務なら、そのための費用は経費(非課税経費)であり、帳簿上の振り分けに就いては「大雑把」(括弧附きである事に注意)でも構はない。 尤も、例年の実績を基に勘定科目毎の年度予算が決められて居るから、その範囲内に収まれば良いし、収まらない場合は稟議等で取締役の決済を仰ぐ事になるけれど、これらは制度上の問題です。 それよりも、業務に必要な御金か何うか。 その御金が無駄に使われて居ないか何うか。 要するに、中身が大事です。

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その業務*2について、必要であるかと問はれゝば、私は必要であると堂々と答へられるし、それにお金を使つたことに對しては住民も何も言はないだらう。仰るとほり單に制度上の問題だ。だが現實に「制度」(括弧附であることに注意)がある以上、中身が大事と言つて制度を無視する――と云つたことはできない。

というか、正義に基づいて実態に即した運用が行なわれて居るならば、むしろ、変えるべきはルールです。 実際のところ、年一回程度の業者会に参加させるのは「慰安」(福利厚生)の側面で判断される事が多い訣で、それならそれでルール化して措くのが正しい。 既存のルールを何が何でも適用する、という固定的な発想それ自体が をかしい。 民間会社は割と柔軟に変更するけれど、お役所では何うなんだろう。 一度決まったルールは「絶対」と信じて居るような気がします。 もちろん、お役所の職員はルールを遵守しなければならないのですが、厳格になるあまり教条主義に陥って居ないだろうか。

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ルールを柔軟に変更させるほどの力も持合せてゐないが、私が元のルールに問題があると思つてゐないが故に「不滿」と言ふか「愚癡」が生じてゐるんだ。


不自然でも説明できればいゝ」と「自然な方法を選ぶべき」と云ふ2つの矛楯した思考を私は抱へてゐる。どちらも結果は一緒なのだからつまらない拘りでしかないのだが。

*1:後々面倒なことになるかもしれない――と云ふ自意識過剩な理由の方が大きいが。

*2:具體的にどんな業務であるかは私が氣にしてゐる問題とは關係のないことなので書かない。