批判を受止める

プログラマを無闇に刺激して怒らせるとユーザのいうことを聞いてくれなくなるから、やめたほうがいいよ。
というか、わざわざプログラマを怒らせるようなことをいう人の要望をプログラマは聞きたくなるか、という話。

プログラマはどう在るべきか」が、「プログラマにユーザの言ふことを聞いてもらふには」と云ふ話に變つてゐる。「自分の作りたいソフトを」作るというだけではすまされません。社会的責任がある安易に仕樣の變更を繰返すプログラマ・アプリケーションの制作者は、無責任だと云ふ意見に對して、プログラマとしての責任は○○だ――と應へるだけの話なのに。
まじかんとさんは、としまさんや野嵜さんの言ふ「プログラマの責任」と云ふものを「プログラマはユーザの言ふことを全て實現しなければならない」と解釋してゐる。だから「ユーザは……」と云ふ話になる。
この議論においてユーザのことは本筋ではない。プログラマどうあるべきかが本筋なのだ。


「あのソフトは○○と云ふ缺點があるから下らない。」――かう言はれたとき、そのソフトの開發者はどうするか。「下らない」と言はれたことに憤るだけで思考停止するのか、憤りもするがそれとは別に指摘された缺點とは何なのかを追究する(結果、指摘されたことが缺點でないと云ふ結論に達することも當然ある)のか。
現實には、全てのユーザの意見に耳を傾けることは不可能であるし、樣々な事情(感情的なことも含む)により開發を止めてしまふこともあるだらう。だがソフトを公開したのならば、プログラマは後者の意識を常に持つておくべきだ。


プログラマだけではなく、商品開發者でもサーヴィス提供者でも全く同じことなのだが。