Re:Suckyさんへ(2)へのご意見・ご感想

七鍵さん、どんどん本題から離れてゆく。
前囘最初に書いたことに對して何も書いてゐないから、誤讀の心配は無用だ。


  • 何も私は、自分の意見が正しいと考へてこちらに記事を書いてゐるのではありません。と書いた直後に私の意見だから言つてゐるのです。當然、自分では正しいと思つてゐることなのですが、と書いてゐる七鍵さん。どつちだ?
  • Suckyさんのことを自分本位な人だと觀てもらつても全然構はないが、何故さう觀ることになつたのか教へて欲しい。
  • 自分本位な感覺はなかなかゼロにはなりません。とか百に一つくらゐは自分本位が混じつてゐるものです。と書いてゐるが、逆に言へばゼロではない部分、百に九十九くらゐは相手本位な部分があると云ふことを表してゐる。だが七鍵さんの聲もかけずに、尻を摺り寄せて電車に乘らうとする習慣についての意見(以下「尻習慣意見」と言ふ。)の場合、そんな部分はなく自分本位だけだと私は言つてゐる。
  • 私はそもそも誤讀を指摘したかつただけで、正當性云々は肝腎だと考へてゐないのなら、「Suckyさんへの返事へのご意見・ご感想」を書く必要はない。何故ならそこには誤讀について書かれてゐないからだ。私は「やはり羨しい」で――前に誤讀を指摘されたことを踏まへ――「尻習慣意見」について書いた。當然、話の流れから次も「尻習慣意見」について書かれるのが普通。だが七鍵さんは、そこで「尻習慣意見」に碌に觸れてゐない。だから肝腎なことは何も書かれてゐないと書いたのだ。
  • お喋りに付き合ふのもやぶさかではないのならばどうぞ。
  • 議論――正當性の押し付けあひ――して何か結論が出る、それは非常に拙いことだと思ふのなら、私(御指名)に返事を書く七鍵さんの行爲はいつたい何なのだ?七鍵さんが正しいと思つてゐることを私に示してゐるんぢやないのか?それは七鍵さんの言ふ押し付けとどう違ふのだ?私は押附けられてゐると思つてゐない。だが七鍵さん、七鍵さんは言つてゐることとやつてゐることが滅茶苦茶だ。
  • 人はなかなか自身の意見を變へるものではありません、むしろ無理矢理變へやうとすると、何かしらわだかまりが殘るものです。と云ふ持論をわざわざ書くのは、私が無理矢理七鍵さんの意見を變へようとしてゐる――と思つてゐるからだらう。ならば七鍵さんは私のどこがどう無理矢理なのか示して欲しい。さうでなければこれも單なる被害妄想だ。
  • 私が相手の文章の拙い部分を見つけては、自分本位で相手の考へを全て解つたつもりになり、それに反論を加えて相手の人格までを極め附けてゐると言つてゐるわけだ。文章でしか相手が觀ることができない以上、相手がどう云ふ人物であるかそこに書かれてゐることで判斷するしかないだらう。文章の拙い部分を指摘されたら直せばいゝし、拙くないと言ふのであればさう言へばいゝ。勿論指摘を無視してもいゝが、途中で他の話に擦替へてしまふのは問題だ。
  • 私はこれからも、こゝで自分の意見を書くつもりですよ、Suckyさんが見やうが見まいが。等と云ふ宣言を私にされても、私にどうしろと?私は七鍵さんに意見を書くのを止めろとは言つてゐないのだが。

七鍵さんが「尻習慣意見」から話を逸す理由は何だ?根據を示して「尻習慣意見」は正しいと言へばいゝのに、それができないから話を逸らしてゐるのではないかと思つてしまふ。
あと、しかし、氣にする必要はありませんよとかそれにしても、Suckyさん、かなり良い部分まで近づけてゐたと思ひますよ等と平氣で言へるほど御立派な人物である七鍵さんに私のやうな下賤な者が言ふのも僭越だが――七鍵さんは言ひたいことを纏める能力を身につけた方がいゝ。徒に長い文章は言ひたいことがぼやけ、突込どころを増やす元だ。また先ずは自身の讀解力のなさに惱んでみては如何かと仰るくらゐ私の讀解力に疑問を持つてゐるのだから、それを加味して言ひたいことははつきりとどうぞ。と言ひたい。まるで私の誤讀を誘つてゐるかのやうだ。私は七鍵さんの罠にまんまと引掛つてゐるのか?