辯護され、己の恥を知る

こんな私でも辯護してくださる方がゐる。非常にありがたいことで御禮の言葉を盡しても盡しきれない。
では、私が今囘の私を見たら辯護するだらうか?――恐らくしない。分らず屋を相手によくやるものだと冷やかに傍觀してゐるだらう。
これから私は自分を變へることができるだらうか?變へなければならないことは分つてゐるのだが、變へる勇氣があるだらうか?