正義の味方氣取り、復活(笑)

殘念ながら現在のウェブでは、論理も倫理もないことであつても罷通る。私が眞面目に間違を指摘しても、罵られていぢけても、それは變らない。ならば、獨りでいぢけてゐるより、眞面目に間違を指摘し續ける方が少しは世間のためになるだらう――と思ひ直した次第。


かういふ輩は、言ひ返されないことを唯一の證據として、その相手との議論に勝つたつもりでゐるのだが――私は自身の論の勝敗など氣にもしてゐないのだから、下らない相手に對して、相手が勝つたつもりにならうがどうしやうが、まともな讀者であればどちらに理があるかは言ふまでもなく判ると信じてゐるからこそ「そこ」に對し言ひ返ささうとしないのだが――、彼は「自身の感じる道徳こそ正しい」と思ひこみ、たつたその儚いものだけを論據に自身以外の他者を貶めようと躍起になる。

七鍵さんが勝敗を氣にしてゐるかどうかは後々明らかになる。取敢ず今は、勝敗を氣にしない人が、それ以前に、トラックバックとは不思議なもので、受けると何か言ひ返したくなるものだ。と云ふ氣分になるなんて私には信じられない――と言つておかう。

かういふ道徳の話で、間違つてゐるか否かなど自身の價値感でしかないのだが、かういふ輩は自身の感じる道徳に「理」があると思ひこむ、ばかりか、それを論據に「何か利――理ではない」があつて他者を貶めようとする。どれだけ傍若無人なのだらう。道徳とはそれほどまでにも便利なものなのか。

慥かに道徳とは便利なものだ。聲もかけずに、尻を摺り寄せて電車に乘らうとする習慣は何とかしなければならない。と云ふ七鍵さんの被害妄想から生れたありもしないことも「道徳」と言つてしまへば正しいことを言つてゐる氣分になれるのだから。道徳とは社会生活の秩序を保つために、一人ひとりが守るべき、行爲の基準である。七鍵さんは我儘を言つてゐるにすぎない。己の利を求めてゐるのは七鍵さんであり、その姿はどれだけ傍若無人なのだらう。
さて、今まで私は指摘しなかつたが、七鍵さんの讀解力は滅茶苦茶である。

勝つことが私の利などといふ輩の論に耳を傾ける必要はない、そのためにがんばつて理窟をこねくり囘してゐるに過ぎないのだから。

とか言つてみせてゐるのだが。何故か七鍵さんは私の發言を途中で、七鍵さんの都合の良い箇處で私の發言を切つて紹介してゐる。なぜか。もとの發言のまゝ紹介すると、七鍵さんの都合が惡いからである。私の發言の全文を紹介しよう。

「七鍵さんに勝つた」なんて何の自慢にもならないが、間違つたものに負けたくはないし、負ける謂もない。勝つことが私の利と言へばさうだ。

會話でなくても問題ない - 鬱と躁の日々

いかがでせう、私の發言の途中で何故か切るのと、私の發言を全てを讀むのとでは、受ける印象が明らかに違ふ。それなのに、何故か、理由があつて七鍵さんは私の文章を中途半端に紹介してゐる。これは、私の發言を、私の意圖しない内容――七鍵さんの意圖する内容として喧傳したいか、七鍵さんが日本語の文章に對する讀解力がよつぽどないかの、どちらかである。――とこゝまでは「またきた、女々しいSuckyさんへのご意見・ご感想」からインスパイヤ
私は、「「七鍵さんに勝つた」なんて何の自慢にもならない」と最初に書くことで私が得るであらう利が極々僅なものであることを示し、「と言へばさうだ」と假定形と推量で締めることにより、第三者から見ればさうかも知れないと言つてゐるだけ。それを七鍵さんは――Suckyは利のためだけに頑張つてゐると言つてゐる――と讀むのである。

しかし、七鍵さんたつた一人の判斷ではないなどとよく言へたもので、たつた一人、自身の判斷で七鍵を貶めようと躍起になつてゐる輩がいふのだから、目も當てられない。

私は相手をするにも値しないと私が判斷した相手に對して私の有意義な時間を使はうとは思はない。と書いたのは誰か?――七鍵さんである。それを受けて私は次のやうに書いた。

2つの對立した意見があり、それらが公開されてゐるのならば、澤山の人達がその意見を覽る可能性がある。覽た人達はどちらが正當であるか自然に判斷する。七鍵さんたつた一人の判斷ではない。

會話でなくても問題ない - 鬱と躁の日々

書かれたことについて判斷するのが七鍵さん一人ではないと言つてゐるのであつて、自身がものを書くことについての判斷を言つてゐるのではない。

この場で初めて辯明らしいことをすると、辯明をしなかつた理由は明らかで、まともに文章を讀めるものであれば、私がの尻を觸つて喜んでゐるとか、が尻を押し付けてくることが迷惑だなどとは讀まないから。

「女」を強調してゐるが、そんな部分はポイントではない。そこが「男」であつても話の本題に何の影響もない。何を言合つてゐるのか、七鍵さんは全く解つてゐない。そんな人間が他人に讀解力云々とよく言へる。
そして七鍵さんは自分が書いたことすらも覺えてゐない。

聲もかけずに、尻を摺り寄せて電車に乘らうとする習慣は何とかしなければならない。なぜ。望みもしない尻を觸らなければならないのか、私の身にもなつてくれ。

東京へのご意見・ご感想

迷惑に思つてゐない人間が、望みもしない尻を觸らなければならないのか、私の身にもなつてくれ。なんて書くものか。

その證據となるか否か、こゝの讀者には女性もたくさんゐて、その女性からは一言も「不快」だなどと言はれてゐない、むしろ女性の方が私の言ひたいことを的確に捉へてくれた、まあどうでも良い傾向の話。

私の知人達は皆怒つてゐる――と言つても七鍵さんは信用するまい。いや、信用して私の知人達も馬鹿だ馬鹿だと罵倒するかな?

別にこの讀解力がない輩がどこで勝手に自慰行爲をしようが、そのやうなことはどちらでも良いのだが、自慰行爲にトラックバックといふ形で付き合はされてゐる私の苦勞も、こゝの讀者には察して欲しい。

七鍵さんが私のトラックバックに附合ふことまで私の所爲にする。附合ふか附合はないかも自分で決められない七鍵さん。