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4.0b8
はてなツールバー for Firefox
3.7a5
Gmail Manager
Brief
緑のgoo
3.6.*

Gmail ManagerとBriefが4.0で未だ使へないのが不安な氣持にさせるが、何とかなりさうな感じ。

Gmail Managerの代替
WebMail Notifier (for Gmail, Hotmail, Yahoo, AOL and so on)
4.0b8
Briefの代替
Sage
4.0b8

Sageは昔使つてゐたのだけれど、Sage Feedsなるフォルダの名前がをかしなことになつた*1ので、Briefに乘替へてゐた。細いことを氣にしなければSageの方がシンプルで使ひやすい。


相變らずヴァージョンアップの度に下らない心配をしなくてはならないFirefox。同じことができるのであれば、ChromeでもOperaでもSafariでも何でもいゝのだが、恐らくこれらのウェブブラウザも同じ問題を抱へてゐる。

*1:慥か「名無し」になつたと記憶してゐる。

認識の違

「教諭」って大学教授には使わない言葉です。
投稿: y | 2010年9月 5日 (日) 03時34分
誰が決めたのかは知りませんが (学校教育法で定義されているのかと思ったら違った)、教諭は大学の教員を含まないという暗黙の了解が教育界には存在するようなので、「教員」に変更しました。
投稿: まじかんと | 2010年9月 5日 (日) 12時06分
学校教育法第92条で大學にはどう云つた者を置かねばならないのか定められてゐます。
投稿: 神崎 智徳 | 2010年9月 6日 (月) 21時52分
いやしかし、学校教育法は「教諭」という言葉の意味に大学教員は含まれないということを明確に規定してはいないのですよ。(少なくとも私の見た限りでは)
投稿: まじかんと | 2010年9月 6日 (月) 22時05分
「教諭」と云ふ言葉に一般的な意味はありません。何故なら「教諭」は学校教育法で初めて出てくる職名だからです。學校で教へる人全般を表す普通名詞の「教員」とは違ひます。
学校教育法第27條、第37條、第49條、第60條で幼・小・中・高に置かねばならない職員が定められてをり、そちらには「教諭」が含まれてゐます。一方、第92條には「教諭」が含まれてゐません。つまり大學に「教諭」はゐないと云ふことです。
投稿: 神崎 智徳 | 2010年9月 9日 (木) 02時13分
では、神崎さんと私とでは「教諭」という言葉の意味の認識が違うということですね。私は、(学校教育法で用いられる術語としてではなく) 一般用語としての「教諭」は「教員」と同義だと認識しており、当初そのような意味で「教諭」を本文で用いました。
投稿: まじかんと | 2010年9月 9日 (木) 11時44分

最初にまじかんとさんが、学校教育法で定義されてをらず、教諭は大学の教員を含まないという暗黙の了解が教育界には存在すると仰るので、私は何故大學に「教諭」が存在しないかを學校教育法に基づいて説明したつもり。ところがまじかんとさんは私と言葉の意味の認識が違うと言ひ、(学校教育法で用いられる術語としてではなく) 一般用語としての「教諭」は「教員」と同義だと認識してゐると仰る。
一般用語として使つてゐるのなら最初に法律を持出すべきではなく、國語辭典で調べるべきだ。法令は一般用語の定義なんてしない。
ところで一般用語としての「教諭」は「教員」と同義だとまじかんとさんは思つてをられる樣だが、「一般」ではさうなんでせうか。校長や教頭は「教員」ではあるが「教諭」ではない。「校長」も「教頭」も「教諭」も職名だから――かうしか言ひ樣がないんだが、それは私が偶々知つてゐるからでせうか。おまけに附加へれば、教授が高校の教員を含まないのも教育界に存在する暗黙の了解でせうか。


まじかんとさんは「言葉の意味の認識が違ふのだから文句を言ふな」と言つてゐるのか「「教諭」は「教員」と同義だと認識しており、当初そのような意味で「教諭」を本文で用いたのは間違だつた」と言つてゐるのかよく判らないので、敢て「まじかんとさんの使方は間違つてゐる」と言はう。

Re:観測所雑記帳 : 勝間和代とネガティブ・レビュー問題(補記)

私は「アンチ」をある者に對して、不當な行爲をする者と定義したが、それは勝間さんがアマゾンのみを採上げ、アマゾンのレヴューの脆弱性を説いてゐることから、勝間さんは「アンチ」をかう云ふ意味で使つてゐるのだと讀めるからだ。
nobixさんは「アンチ」を「○○って知名度の割につまんなくね?」という意見、また、そういう意見を持ってる人のことだと定義されてゐる。具體的な例として、社会現象にまでなった「1Q84」を読んでみたらつまらなかった、という場合彼ら「勝間本が出るたびに喜んで買う」熱心でマニアックなアンチ層を上げられてゐる。だがさうならば、、著書をアマゾンで買った人でなくともレビューが書けるとか、「ブログ檢索やTwitter楽天ブックスのレヴューしか信用できない」*1とは書かないだらう。ブログ檢索やTwitter楽天ブックスとて否定的なレヴューか書かれる可能性はあるのだから、レヴューそのものを否定してゐなければならない。
言葉を筆者がどう云ふ意味で使つてゐるのか――それを踏まへて「論」の正否が論じられなければならない。


まあ、Amazon の勝間本のレビューをざっと見た印象では、読まずに書いてるレビューなんてほとんど存在しないと思うけど。

私の定義した「アンチ」に當嵌めれば、Amazon に「勝間さんのアンチはゐない」*2と云ふことだ。もし勝間さんに言ふのならば、さう言つてあげたらいゝ。楽天ブックスのレヴューとの違が何故生じるのか尋ねられるかもしれないが。

*1:勝間さんがブログ檢索やTwitterのレヴューを信用できるのが何故なのか、私には理解できないが。

*2:「讀んでゐるから誹謗しない」と言へないが、こゝでは細いことは考へない。

Re:観測所雑記帳 : 勝間和代とネガティブ・レビュー問題

私が先日書いた「不當な行爲を排除して何が惡い」で最初に「アンチ」を定義附けしたのは、その言葉の「意味」をバラバラに受取られると話が通じないから。


「アンチ」を定義するのはむずかしい。「不當な行爲を排除して何が惡い」では、「ある者に對して、不當な行爲をする者」と定義され、アンチは排除すべきだ、という論が展開されているが、これは「不當な行爲をする者は排除すべし」と言ってるのと同じことで、つまり「排除すべき者は排除すべし」という同語反復と変わらないような気がする。

當り前のことを當り前にするのは當り前のことだから。

「アンチ」とは「○○って知名度の割につまんなくね?」と思ってる人のことだと定義すればいいのではないか。で、要は単純に、勝間和代にはアンチが多いんだろう。それだけのことだ。

さう定義すると、正當に批判してゐる人も「アンチ」になつてしまふ。きちんとした根據があつて勝間さんの本が詰らないと言ふのならば、それは正當な批判でせう。勝間さんは斯樣な批判まで排除しろと言つてゐるだらうか。もしさうならば、勝間さんはアマゾンのレヴューのみに言及する必要はない。

アンチを排除せよというのは暴論で、アンチによる(あるいはシンパによる)迷惑行為を排除すればそれでじゅうぶんである。

「アンチ」の定義だけ自分のものに替へて、私の「アンチを排除せよ」を暴論だと言はれても困る。


おまけ

勝間さんは「著者の知名度が広がるにつれて、必ず『アンチ』が生まれます」と、書いている。これだと知名度と「アンチ」の数は単純に比例するかのようだが、実際にはぜんぜんそんなことないでしょう。

私は著者の知名度が広がるにつれて、必ず「アンチ」が生まれます。知名度と「アンチ」の数は単純に比例するとは讀まず、「その人自身が無名よりも有名な方が『アンチ』はゐる」と讀んだ。殘念ながらトッド・ラングレンを私は知らないが、東野 圭吾も無名時代より今の方が少いとてアンチはゐるだらうし、池上 彰も大塚 愛もイチローも無名な頃より今の方がアンチはゐるでせう(想像)。GIRL NEXT DOOR や ICONIQなんて、(芸能ニュースを讀むに)avexが賣らなければ(有名にしなければ)、アンチなんてできなかつたかもしれない。

不當な行爲を排除して何が惡い

私はアンチを「ある者に對して、不當な行爲をする者」と定義附けてゐる。


勝間さんの行動は變だらうか。

  1. 自分のアンチがゐる。
  2. アンチがゐる「場」の管理者に、「アンチに場を提供するな。」と訴へる。

至極眞つ當な行動でせう。

多重アカウントを作ってのアンチ活動が全体のレビューのどれぐらいの割合で、勝間さんのレビューでどのぐらいの割合があるのかは分かりませんが、そんだけアンチがいるのってなんでか、考えたことないのでしょうか?著者の知名度が広がってるからアンチが増えるって?自分に原因はなし?じゃあ知名度下げればいいんじゃないの?「自分はいろんなところに露出して知名度を上げます!でもアンチは作りたくありません!そういう世の中にして!」って、そんなことは無理でしょう。

茶李さんはアンチ活動を認めてゐるのだらうが、それが私には理解できない。何故なら、アンチの行爲知名度に關聯性はなく、不當な行爲は排除されて然るべきだからだ。だが茶李さんは、「アンチの存在の原因は著者にある。」「有名ならばアンチの存在は當り前だから有名人は不滿を言ふな。」とでも言ひたいのだらう。何で不當な行爲をされた側が責められなければならないのだらうか。

また、このレビューシステムって別に著者が読者の意見を参考にするためのシステムじゃないと思うのですが・・・

設置者の意向がどうであれ、著者が讀者の意見を參考にすることもできるシステムでせう。

Amazonがレビューシステムをどのようにするかは、購入するユーザの意見に耳を傾けるべきであって、著者がどうこういうのは・・・

自分の作品に不當なレヴューを書かれては著者は堪らない。システムで對應できることをシステムの管理者にお願するのは當然だ。
しかし一つ前の引用部もだが、何で「・・・」で最後を省略するのだ。言ひたいことははつきり……


最初に「アンチ」の定義附をしてゐるのは、「不當な行爲をする者」と「正當な行爲をする者」をはつきりさせたかつたから。「誹謗中傷」と「批判」は違ふ。そして勝間さんは、アマゾンで買った人でなくともレビューが書ける等と書かれてゐることから、「不當な行爲をする者」を問題としてゐる――と讀める。

パン屑リストのマークアップ

平成二十二年八月三十日
パンくずリストのマークアップを考える : Weblog : SimpleIsm
パン屑ナビはパラグラフかも (agenda)
Re:パンくずリストのマークアップを考える
パンくずリストは鳥に食べられてしまい、道に迷ってしまいました。あ、お菓子の家が…… - カナかな団首領の自転車置き場
パン屑リストなんかtableでもいいぢやんとか思つたら負けなのかな。
あと、unorder list、unorderだから順番を入れ替へてもいい、と云ふのは何うなのだらう。

私は階層と云ふことでol要素でマークアップ。尤もパン屑リストが何の要素であるかはマークアップする人が決めるので、パラグラフでも表でもいゝ――それぢや、別に好きなようにすればいいんじゃないので終つてしまふか。
私としては、link要素でパン屑リストは不要だと考へてゐるから、「link要素もちやんとサポートして」つて思つてゐる。

失敗と絶望

仕事で失敗をした。
失敗しても命が取られるわけぢやない。失敗が人の人生を左右するわけぢやない。自分のやつてゐる仕事なんてその程度のことなんだ。何も氣に病むことはない。もつと氣樂に考へていゝ。
かう自分に言聞さねば、心は絶望感で覆はれる。斯様なことを切つ掛けに鬱状態に入るのか、既に鬱状態だからかう云ふ思考になつてしまふのか――未だに分らない。